1998 ネパールへの親子二人旅

by Kimi Araki( Hinode Nursery School) 2005/1/4


今から約6年前の話です。

3人の子どもの子育てに日々追われ、殊、長男(当時6歳・保育園年長)には辛く当たっていた私。 下に4歳の妹と2歳の弟がおり、長男には「しっかりしてもらわなくては困る」と常に厳しくあれこれ 口出しをし、スポイルしていたのでした。 かといって彼が憎いわけでも勿論なく、愛情の表現方法がうまくいかないことに対して、私自身が 切実な危機感を抱いてもいました。 その当時、新たな仕事に踏み出そうとしていた時期でもあり、その合間に彼との二人旅を思い立ったのです。 二人きりで濃密な時間を過ごすことで何かが回復できることを願って…。 ネパールを選んだのは、ごくごく個人的な理由からでした。

当時にして10年前、まだ独身だった私は一人で世界一周の旅に出ていました。 何の目的もなく予定も立てず、その日その日を自身の責任において過ごす旅。自由でした。 旅の途中でネパールに立ち寄りました。インドの喧騒に耐えかね逃げ出した果てに行き着いた国でした。 インドと同じヒンドゥー教ですが、この国では「人を疑う」必要はなく、小さな幸せを願う穏やかな人々が 暮らしており、インドから来た私にはまさに天国と思えたのです。やさしい人々に出会えた幸運に感謝しも しました。 そういった感傷の成せる業だったのですが、長男との旅の目的地は迷わずネパールと決めたのでした。

12日間の旅。今回もまた何も予定を立てず往路の航空券だけ手配し、関空から飛び立ちました。 首都カトマンドゥに着いたのは夕刻。ホテルも予約しておらず、行き当たりばったりめぼしいホテルに駆け 込みました。ちょうどその時期のネパールはティカという祭りの真っ最中。そのせいなのかどのホテルも 満室。長男は長旅の疲れと時差とでぐったり。でも泣き言言わず私についてきてくれたのには助かった! ようやく見つけたホテルの部屋に入って、びっくり!TVはある!ベッドに毛布はある!シャワーからタップリ お湯が出る!ホテルのランクはさして変わらぬはずなのに、10年前には考えられなかった事態。 時代は変わった! 翌朝町を散策してこれまたびっくり。これぞ浦島太郎の気分。私の知っていた街の風景はいずこ?? 外国人ツーリストが多くいるタメルというエリアはすっかり変貌していたのです。道路は舗装され、インター ネットカフェあり、気の利いたお土産は売られている。私の覚えている風景・店はどこにも見当たらず…。 長男がハーゲンダッツならぬアイスクリームショップを目ざとく見つけ、ひと休み。

しかし、こんなはずではなった…という思いは、タメルを一歩外に出た途端に覆されることになります。 そこには10年前と露ほども変わらぬネパール庶民の生活風景がありました。 人・人・人の波。いったいどこからこれだけの人が街に繰り出してくるのかと思えるほどの人口密度。 ぼんやりしている人なんかいません。皆、大きな荷物を運んだりして働いているのです。 長男はこの環境にすぐさま順応し、人混みのなかを器用にすり抜け私の後を追ってきます。 二人でカトマンドゥの街を縦横無尽に歩き回りました。 特別に何を話すわけでもないのですが、こうした時間の流れの中に二人でいることが貴重に思えるのでした。 といっても、それまで私が長男に対してとってきた態度を急変させることも無理な話で、彼がぐずぐずして いれば檄をとばすし、突き放すし…。「何も変わらないな〜」と反省することしきりでした。ダメな母です。

カトマンドゥの次に訪れたのはポカラという街。ここはヒマラヤ登山の玄関口でもあります。 カトマンドゥからポカラまでバスで8時間の旅。しんどかったけど、このバス旅は後々の語り草になります。 登山とまでいわずともせめてヒマラヤ山脈が見えるところまでトレッキングをしよう!ということになりました。 トレッキングがなにをするものなのか、長男は深く考えることなく連れ出され、山登り。 私こそがトレッキングを侮っていました!きついのなんの。5分登って心臓バクバク。10分休憩。この繰り返し。 初め長男は自力で登ることが出来ず、トレッキングに付いてくれたポーターのお兄さんに背負われるという始末。 途中の休憩所でのこと。長男の様子を見かねた物売りのおばさんが、「頑張って登りなさいよ」と激励の 意味を込めてミサンガを彼の手首にまいてくれたのでした。(もちろん、言葉が通じたわけではありません。) ミサンガに力を得たのか、それ以降長男は頑張って目的地まで自力で登りきったのです。偉かった! おんぼろの山小屋で一晩を過ごし、翌朝ヒマラヤ山脈を間近に見ることが出来ました。その感動といったら! 私が日本の感覚で「山」というところ、ネパールの人が「丘」という理由に納得。まさにあれこそが「山」でした。 そして下山後しばらくして気がつくと、長男の手首からいつの間にかミサンガが無くなっていました。 願いがかなったということ?

ポカラでは、偶然地元の親子(母とその子ども、親戚総勢12人)のハイキングに出くわしもしました。 傍らで物珍しそうにじ〜っと観ている私たち親子に、「一緒にどうぞ」と英語で声をかけてくれたのでした。 ご馳走はもちろんカレーです。川から水を汲み山から薪を拾い集め、マッチで火を起こす。 たった一つの鍋を使い湯を沸かしたり、まな板代わりにしたり、炒めたり、とカレーを作っていくその様子に、 「文化」ってこういうものだよね、と感服させられました。 頂く時はネパール流。左手をスプーン代わりにしてカレーとご飯を器用にすくって食べます。 勿論、この食べ方は長男初めての経験。周りにいる子ども達の見よう見まねで、お皿によそわれたカレーを 全部平らげました。(相当スパイシーだったはずなのに) 素朴ではあるけど愛情の感じられるカレーを私も しみじみ味わって頂きました。 言葉が通じずともハートは通じるものです。ネパールの親子とは本当に良いひと時を過ごしました。 さて、ポカラからカトマンドゥへの帰路は小型ジェット機で。所要時間20分!たったの20分ですよ! 行きのバスでは山をいくつも超え8時間もかけてたどり着いたというのに。いったいあの時間は何だったの〜? 文明の利器のすごさを実感。果たしてどちらが良いのか…。

結局、この旅の最中では私の長男への態度はほとんど変わりませんでした。 でも、この時過ごした時間は他の誰とも共有しえぬ私と長男二人だけのもの。

長男は現在12歳ですが、今でも彼とはネパールの話をします。些細なこともよく覚えてくれています。 「お母さん、リキシャーのおじさんと喧嘩したよね〜」とか余計なことまで…。 私の苦難の子育てはまだまだ続きます。

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